収集した代表作

(凡例)
氏名/団体名
よみがな 生年-没年 出生地。
略歴(経歴・主な仕事・受賞歴・展示歴・出版歴など)
代表作画像※画像情報の表記規則はこちらからご確認できます。

あ行

| 秋山忠右 | 朝倉 隆 | 浅野 隆 | 石橋寿子 | 石松健男 | 稲越功一 |岩永辰尾 |岩波写真文庫 |岩波文化財写真 | 岩宮武二 | 芸艸堂 | 江見写真場 | 大束 元 | 岡村崔 オハラ,エリザベス・ウォルシュ |

か行

| 片山攝三 | 神山洋一 | 川上重治 | 菊池俊吉 | 菊原 馥 | 杵島 隆 | 木村伊兵衛 | 清宮由美子 | 蔵原輝人 | 児島昭雄 |

さ行

| 佐伯義勝 | 笹本恒子 | 佐藤 明 | 佐藤元洋| 渋谷大郎 | 渋谷高弘 | 島内英佑 | 清水清 | 新間陽子 | 菅井日人 | 杉村恒 |

た行

| 高井潔 | 髙田昭雄 | 高野伸二 | 竹内廣光 | 田中 徳太郎 | 辻本満丸 | 恒成一訓 | 常盤とよ子 |

な行

| 写真協会 | 永田一脩 |中島健蔵 | 中村由信 | 名取洋之助 | 西川 孟 | 野上 透 | 野水正朔 |

は行

| ブリストル,ホレス |

ま行

| 増田彰久 | 松島 進 | 緑川洋一 | 南 良和 |

や行

| 山口直 | 山﨑治雄 | 山﨑美喜男 | 山端庸介 | 吉岡専造 | 吉田 潤 |

わ行

| 若目田幸平 | 和木光二朗 | 渡辺義雄 |

  (50音順)


秋山忠右

あきやま・ただすけ 1941-2013 東京生まれ。
昭和16年、東京都品川区に生まれる。早稲田大学政治経済学部を経て、昭和39年東京綜合写真専門学校卒業、石本泰博に師事する。翌40年「若い群像」で第二回準太陽賞受賞。昭和45年東京綜合写真専門学校講師(平成15年3月まで)、平成13年学校法人写真学園理事、17年同評議員。主な受賞歴として、平成3年第31回ACC全日本CMフェスティバルテレビCM部門優秀賞、平成4年カンヌ国際広告映画祭ファイナリスト入賞、平成10年伊奈信夫賞特別賞など。主要展覧会、写真集として「ブラジルフェアー展」(昭和53年)、『空撮大東京』(昭文社、平成3年。同年にニコンサロンで展覧会開催、東京都写真美術館収蔵作品)、『farmer』(冬青社、平成12年)、『県境の秘密』(PHP研究所、平成21年。同年「くにざかい」展としてキヤノンギャラリーで展覧会開催)など、他多数。


朝倉 隆

あさくら・たかし 1923-2007 福岡生まれ。
1944年、東京写真専門学校を卒業。土門拳に師事。大沢道生、川島浩らと共同で山梨県塩山市の分校を撮影し、岩波写真文庫『村と森林』にまとめる。戦後の庶民の生活を記録した。主な写真集に『岩波写真文庫 257 村と森林』(岩波書店,1958年)、『日本の子ども60年』(新潮社,2005年)

撮影年不明&nbsp朝倉 隆
撮影年不明&nbsp朝倉 隆

浅野 隆

あさの・たかし 1925-2013 神奈川生まれ。
1943年東方社写真部長木村伊兵衛のもとで暗室作業を行う。1944年、東京写真工業専門学校(現・東京工芸大学)卒業。敗戦で文化社に改称したのちも暗室作業のほか撮影にも従事する。1946年にフリー写真家として独立、雑誌等の撮影をする。1948~58年は横浜市警、神奈川県警に勤務し写真撮影に従事。1959年~84年は横浜市広報課で広報誌の撮影に従事する。

1965年 浅野 隆 《ミス横浜審査》
1950年 浅野 隆 《エロ本や》
1946年 浅野 隆 《品川駅引揚者》

石橋寿子

いしばし・ひさこ 1949-1985 北海道生まれ。
1970年、研光社に入社し『フォトアート』編集部へ、リアリズム写真集団の写真塾・英教室に参加。1972年、婦人之友社写真部勤務をへてフリー。浅草、上野などの下町や、故郷の北海道今金町周辺や函館で人々の暮らしをスナップした。日本リアリズム写真集団会員。死後、夫であった神山洋一が遺作を写真集『北と東の人間録 石橋寿子写真集(神山洋一,1985年)として編んだ。

撮影年不明 石橋寿子『北と東の人間録』《朝市》
撮影年不明 石橋寿子『北と東の人間録』《夫婦》
撮影年不明 石橋寿子『北と東の人間録』《浅草》

石松健男

いしまつ・たけお 1936-2008 大分生まれ。
1958年、日本大学芸術学部写真学科卒業。阿部正二に師事。ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ(1960年吉村益信他が結成)の美術家を取材。1976年、アーティスト・ユニオン結成に参加。美術家、作家のポートレート、各地の取材、広告で活躍した。主な写真集に『石松健男写真展~朝倉文夫1962年12月~』(台東区立朝彫塑館,2006年)

1962年 石松健男 《朝倉文夫アトリエ》
1962年 石松健男 《朝倉文夫アトリエ》
1962年 石松健男 《朝倉文夫アトリエ》

稲越功一

いなこし・こういち 1941-2009 岐阜生まれ。
1965年、モス・アドバタイジング株式会社にグラフィックデザイナーとして入社。1970年、フリーランスの写真家として活動を開始。1980年、講談社出版文化賞を受賞。エディトリアルの撮影をする一方で、多くの作品集、展覧会を国内外にて発表する。主な作品として『Maybe,maybe』(求龍堂,1971年) 、『meet again』(写真評論社,1973年)、 『記憶都市』(川本三郎共著,白水社,1987年)。主な写真展に、「芭蕉景」(ライカ銀座店サロン 2009年) などがある。

1985年 稲越功一『記憶都市』《13、APR,'85向島三丁目付近》
1985年 稲越功一『記憶都市』《23、MAY,'85木場付近》
1986年 稲越功一『記憶都市』《12、MAR,'86新宿》

岩永辰尾

いわなが・たつお 1928-2018 東京生まれ。
横浜国立大学卒業後、日本味噌株式会社に勤務。全日本写真連盟理事、関東本部長本部顧問を務める。
主な写真集:『天界の郷: 日本のチロル・長野上村 岩永辰尾写真集』(第三書館 1994 年)、『東京タワーが建ったころ』(第三書館 2005 年)、『昭和―あの日あの時』(文芸社 2012 年)。

1968年 岩永辰尾 《渋谷駅のシンボル忠犬ハチ公像》
1972年 岩永辰尾 《深川埋め立て》

岩波写真文庫

いわなみしゃしんぶんこ
1950~58年にかけて刊行された、自然、文化、文芸、地理、科学技術、工業製品、各地の風俗など、様々な対象を写真で捉えた、全286冊のシリーズ。「物語る写真」という新しいスローガンをかかげて、自然および社会に存在し生起する事象を可能な限り写真表現でとらえて出版することをめざした。

1958年『岩波写真文庫 279 岩手県 ─新風土記─』(表紙・裏表紙)《岩手山麓の放牧地.遠くに八幡平.西根村田頭》撮影者不詳
『岩波写真文庫 57 石油』(表紙・裏表紙) 撮影者不詳
『岩波写真文庫 250 青森県 ─新風土記─』(p.47)《浅虫温泉の花火大会.前方は湯ノ島》撮影者不詳
1954年『岩波写真文庫 148 忘れられた島』(表紙・裏表紙)《竹島,コモリの港》撮影:名取洋之助
1953年『岩波写真文庫 160 伊豆の大島」(表紙・裏表紙)《元町の流人墓から》撮影者不詳

岩波文化財写真

いわなみぶんかざいしゃしん
寺社の建築、仏像、彫刻、工芸、絵画、書跡などの文化財について、第一線で活躍する写真家によって綿密に撮影された写真と、研究者による徹底的な調査に基づく解説とで構成した書籍群。『奈良六大寺大観』(全14巻)、『大和古寺大観』(全7巻)、『醍醐寺大観』(全3巻)、『平等院大観』(全3巻)。


岩宮武二

いわみや・たけじ 1920-1989 鳥取生まれ。
1937年、米子商業高校商業科卒業。1940年、丹平写真倶楽部入会。1946年、フリーカメラマンとなる。1951年、瑛九らとデモクラート美術協会を創設。1955年、岩宮フォトス設立。1966年、大阪芸術大学教授に就任。1955年、全国カレンダー展文部大臣賞、1963年、日本写真協会年度賞、1969年、芸術選奨文部大臣賞、1972年、第4回国際出版文化賞、受賞。主な写真集に、『佐渡ヶ島』(角川書店 1959年)、『佐渡』(朝日新聞社 1962年)、『日本のやしろ』(美術出版社 1962年)、『大和の石仏』(淡交社 1965年)、『石の寺』(淡交社 1965年)、『Kyoto in KYOTO』(淡交社 1965年)、『宮廷の庭』(淡交社 1968年)、『日本のかたち』(淡交社 1978年)、『アンコール』(岩波書店 1984年)、『ポロブドゥール』(岩波書店 1990年)。主な写真展に、「佐渡」1956年、「ハワイ」1960年、「アンコールワット」1964年、「アルフォト」1970年、「EXPO’70」1970年、「墨と私と」1976年、「ネパールの貌」1979年、「水墨+印刷インク」1981年、「岩宮武二写真展」1981年。

1960年ごろ 岩宮武二 『佐渡』《腕白小僧》
1960年ごろ 岩宮武二『佐渡』《世間話》
1960年ごろ 岩宮武二『佐渡』《竹細工》

芸艸堂

うんそうどう 1891年 京都府にて創業。
江戸時代より続く、日本で唯一の手摺木版による和装本専門の出版社。明治から昭和初期にかけて、伝統木版の高い技術力による多色摺の木版画譜および図版集を多数出版するほか、着物図案の収集を手がける。主な出版物:『花鳥写真図鑑』(芸艸堂 1930年)、『芸術資料』(芸艸堂 1936年)、『茶道精観』(芸艸堂 1947年)。

芸艸堂 《白鳥》 撮影:岡本東洋
1939年頃 芸艸堂 「歴史風俗写真」撮影者不詳

江見写真場

えみしゃしんじょう 1873年開業 岡山にて開業。
岡山県津山市で1873年(明治6年)に開業した写真館。特に(故)江見 正氏がガラス乾板で撮影した津山の写真は、戦災などで失われることなく現存し、明治から昭和までの建築、風景、風俗、服装などを記録した資料として価値が高い。主な写真集に、『市制施行80周年記念特別展 古い津山の写真展―津山城下町、お城の松に。―』(津山郷土博物館,図録:2009年、写真展:同年)がある。

1938年頃 江見写真場 《神伝流プール》
年代不明 江見写真場 《柵原鉱山》
1934年頃 江見写真場 《災害復旧》
1932年頃 江見写真場 《郡是~吉井川横断排水管敷設》
1930年頃 江見写真場 《高女全校生徒・表中門》

大束 元

おおつか・げん 1912-1992 東京生まれ。
1934年に銀座商業写真研究所を設立。同年朝日新聞大阪本社社会部に入社し、1937年から中国大陸を取材した。 1948年に同社出版写真部に移り、1958年に出版写真部長となる。定年退職後は全日本写真連盟理事として後進の指導にあたった。新聞社に在籍しながら、独自の美意識に基づく作品を多数発表した。主な写真集に、『軌跡―大束元の世界』(平凡社,1996年)、「新東京風景」シリーズ『アサヒグラフ』(朝日新聞社,1950年頃)。

1953頃 大束 元『軌跡』《カジノ座の人々》
1951年頃 大束 元『軌跡』《東京雪景》
1951年 大束元《ニコライ堂》

岡村 崔

おかむら・たかし 1927-2014 東京生まれ。
東京生まれ。芝浦工業専門学校(現芝浦工業大学)を経て、日本大学理工学部建築学科で建築家、デザイン教育者の川喜田煉七郎に学ぶ。1958年からヨーロッパでの撮影をはじめ、1965年からイタリア、ローマに転居。古代ガラス工芸、写本、ボッティチェリ、ラファエロからジョルジョ・デ・キリコまで幅広く西洋絵画・美術工芸品の撮影を行う。バチカン市国システィーナ礼拝堂内の壁画≪天地創造≫(ミケランジェロ作)修復作業を撮影し、世界的評価を得る。1995年に帰国。主な著書に、『大系世界の美術』(学研マーケティング 1971~75年)、『世界彫刻美術全集』(小学館,1974~77年)、『ミケランジェロ・ヴァテイカン壁画–天地創造』(講談社,1981年)、『The Art of Florence』(Abbeville,1988年)、 『La Cappella Sistina』(Rizzoli,1989年)他、海外を含め、美術図書への掲載多数。写真展に、「ミケランジェロのヴァティカン壁画」(1980年)、「ヴァティカン・ラファエロの壁画」(1986年) 他。日本写真協会賞、ダンテ・アリギエリ芸術国際賞、川村賞を受賞。

撮影年不明 岡村崔 《マニフィカトの聖母(部分)》
撮影年不明 岡村崔 《聖フランチェスコ聖堂》

オハラ, エリザベス・ウォルシュ

おはら,えりざべす・うぉるしゅ 1918-1996 アメリカ生まれ。
米国のアマチュア写真家。1948年から1954年まで、商船会社の神戸支店長の夫と来日する。兵庫県西宮市夙川地区に居住し、その間、阪急夙川駅周辺の街並み、農作業、運動会、寺院などで日本人の暮らしを撮影した。主な写真集に『JAPAN: 1948-1954』(Betsy Ohara,1980年)

撮影年不明 オハラ,エリザベス・ウォルシュ
撮影年不明 オハラ,エリザベス・ウォルシュ
撮影年不明 オハラ,エリザベス・ウォルシュ
1948~54年 オハラ,エリザベス・ウォルシュ《花を売り歩く女性:兵庫,西宮市,夙川付近
撮影年不明 オハラ,エリザベス・ウォルシュ

片山攝三

かたやま・せつぞう 1914-2005 シベリア生まれ。
1932年福岡県立中学明善校卒業。同年、東京の写真師、疋田晴久に師事。1935年、福岡市内で営業写真の仕事を始める。終戦後、福岡・観世音寺での仏像の撮影をきっかけに、九州大学美学美術史研究室の仏像調査に参加。1960年代には、美術家、文芸家の肖像を集中的に撮影した。1967年、九州産業大学教授に就任。主な写真集:『日本の石仏』(朝日新聞社 1958年)、『観世音寺』(中央公論美術出版 1964年)、『国宝富貴寺』(淡交社 1972年)、『芸術家の肖像』(中央公論美術出版 1994年)。主な写真展:「カメラの眼 日本の石仏」(石橋美術館 1957年)、「現代美術家の肖像写真展」(日本橋三越 1964年)、「片山攝三写真展 モノクロームの軌跡50年」(福岡県立美術館 1989年)、「芸術家の肖像 片山攝三写真展」(三鷹市美術ギャラリー 1996年)。主な受賞:第28回日本写真協会賞功労賞(1978年)、第11回福岡市文化賞(1986年)。


神山洋一

かみやま・よういち 1948-2003 京都生まれ。
1940年頃から写真に親しむ。1947年青木藤吉郎を知り、浅草を中心に下町を撮影する。1948年、『カメラ』、『アサヒカメラ』、『日本カメラ』、『写真サロン』などの写真雑誌の月例コンテストに多数入選。1950年、『カメラ』月例写真年度賞受賞。主な写真集に『東京生活―神山洋一写真集』(日本カメラ,2003年)、『写真集西陣―美を織る暮らし』(大月書店,1993年)

2000年 神山洋一
1999年 神山洋一
2002年 神山洋一

川上重治

かわかみ・しげはる 1925-2003 福岡生まれ。
長年教職にあった経験を基に「教育とは何か」を、写真を通して追求した。写真集に児童自立支援施設を主題とした『生の証人たち』。個展に「問題を負わされた子どもたち」他。児童に関わる問題に目を向け、世に訴え続けた。

1970年 川上重治『生の証人たち』《重症心身障害児》
撮影年不明 川上重治『生の証人たち』《自然児と名付けられた子》
撮影年不明 川上重治『生の証人たち』:鹿島療育園
1970年 川上重治『生の証人たち』

菊池俊吉

きくち・しゅんきち 1916-1990 岩手生まれ。
1938年、東京光芸社に入社。 1941年、東方社へ入社し『FRONT』の撮影。戦後、文化社に改編後も在籍。 1947年の同社解散後にフリーランスとなる。終戦直後に広島の原爆被災状況や焼け野原となった東京の街を撮影した。

1945年 菊池俊吉 《広島,千田町電鉄株式会社,御幸橋》

菊原 馥

きくはら・かおる 1925-2012 石川生まれ。
日本大学卒業。歴史に根差した題材で多くの取材を重ねた。主な展覧会、写真集に『東海道五十三次写真』(悠々堂出版、1965年)、「中山道六十六次写真」展(そごう、1966年)。そのほか「江戸百景写真」「四国八十八寺」「親鸞聖人の一生写真」「日本の太陽」等のテーマで連載を多数受け持った。


杵島 隆

きじま・たかし 1920-2011 アメリカ合衆国カリフォルニア州生まれ。
1924年に、母方の実家があった鳥取県米子市に移り住み、幼少を過ごす。1943年日本大学芸術学部映画学科卒業。1953年ライトパブリシティ入社。民放CM第一号となるサッポロビールのCMの制作、カネボウ、マックスファクター、ミキモトなどの広告を手掛ける。1956年にフリーの写真家となり、キジマスタジオ設立。以後、広告写真の分野で活躍し、第8回朝日広告賞・新聞広告部門朝日広告賞(1959年)、ライフ誌ゴールドメダル(1960年)、日本写真協会年度賞(1976年)など受賞。1988年日本写真家協会副会長、1991年勲四等瑞宝章授与。

1950年 杵島 隆《老婆像》
1957年 杵島 隆《桜田門》

木村伊兵衛

きむら・いへい 1901– 1974 東京生まれ。
1924年、東京日暮里に営業写真館を開設。花王石鹸広告部を経て、1932年、月刊写真雑誌『光画』発刊。1934年、中央工房設立。1941年、東方社設立。対外宣伝紙『FRONT』写真責任者。1947年、『週刊サンニュース』創刊、写真部主任となる。1950年、日本写真家協会、初代会長に就任。菊池寛賞(1955年)、芸術選奨文部大臣賞(1956年)、紫綬褒章(1968年)、従五位勲五等旭日小授章(1974年)、受賞。主な写真集に『木村伊兵衛外遊写真集』(朝日新聞社,1955年)、『木村伊兵衛作品-前進座舞台写真集』(研光社,1966年)、『木村伊兵衛の眼』(朝日新聞社,1970年)、『木村伊兵衛名作写真全集』(世界文化社,1979年)、『定本 木村伊兵衛』(朝日新聞社,2002年)他。写真展多数。

撮影年不明 木村伊兵衛 『前進座』
撮影年不明 木村伊兵衛 『前進座』 《勧進帳》

清宮由美子

きよみや・ゆみこ 1934–2018 東京生まれ。
1955年東京写真短期大学卒業。出版社勤務を経て、1957年、週刊誌『女性自身』に携わる。皇室係要員として活躍しながら、『新週刊』、『アサヒカメラ』、『日本カメラ』、『太陽』などに携わる。1960年代後半よりイギリスに渡航し、現地のスナップ写真を写真誌に掲載。雑誌社の女性カメラマンの草分け的存在である。主な写真集:『日本のどこかに : 清宮由美子写真集』(鏡浦書房 1961年)、『美智子妃誕生と昭和の記憶 : プリンセスに密着した女性カメラマンの一〇〇〇日』(講談社 2008年)。

清宮由美子 《ユッ平》
清宮由美子 《屋台の雑煮を味わう》
清宮由美子 《橋の下の生活》

蔵原輝人

くらはら・てるひと 1944-2010 東京生まれ。
俳優座をはじめ新劇の舞台を中心に、生活記録、人物写真、報道写真の分野で活動。著書に『写真集・わらび座-民俗の歌と踊りに生きる』、『歩く人―加藤剛 写真&エッセイ集』などがある。

撮影年不明 蔵原輝人
1970年頃 蔵原輝人《わらび座の舞台、鬼剣舞》
撮影年不明 蔵原輝人
撮影年不明 蔵原輝人

児島昭雄

こじま・あきお 1927- 埼玉生まれ。
1949年東京写真工業専門学校(現.東京工芸大学)卒業、同年(株)新東宝映画撮影所にスチルカメラマンとして入社、1953年リーダーズダイジェスト社の専属カメラマンとして入社、1964年にフリー写真家となる。主にコマーシャル写真を手掛ける。一方、戦後まもなく、学生の時に洗礼を受け、1955年頃から日本の教会堂200ヶ所を撮影。のち十字架のある風景を撮るため世界各地を回る。また、1956年にオリンパスカメラクラブ主幹、同年『オリンパスフォトグラフィー』編集長、1992年から2005年まで日本写真学園校長を務め、NHK学園講師やJCIIフォトクリニック講師をするなど、写真教育にも尽力した。 代表作として、写真集『霊南坂教会』(1984年)、『日本の教会堂その建築美と表情』(1992年)、『祈りの風景』(共著・三浦綾子、1991年)、『十字架のある風景』(1999年)、『海の風土記』(2001年)など。


佐伯義勝

さえき・よしかつ 1927-2012 東京生まれ。
明治大学カメラクラブを経て、サン・ニュース・フォトスに入社、木村伊兵衛と土門拳に師事。サン・ニュースでは1953年の砂川闘争などを撮影。 1952年頃から『婦人画報』で写真を撮影 。料理人辻嘉一氏との出会いにより、料理の魅力に気づき報道から「料理写真」というジャンルの第一人者になる。日本初の料理専門写真スタジオを設立、以来料理写真の第一人者として活躍。門下生多数。主な写真集に『佐伯義勝料理写真の世界』(佐伯弥生,2013年)『招福樓・おりふしのこと』(世界文化社,2003年)など

1953年 佐伯義勝 《石川,内灘村,射爆場》
1956年 佐伯義勝《砂川斗争》
1952~57年頃 佐伯義勝 《石川,内灘村》
1952~57年頃 佐伯義勝 《石川,内灘村》
撮影年不明 佐伯義勝

笹本恒子

ささもと・つねこ 1914- 東京生まれ。
大妻技芸学校高等家政科中退。1936年頃から、東京日日新聞で挿絵カットを描く。1940年、財団法人写真協会に勤め、『写真週報』の写真撮影に携わる。日本初の女性報道写真家として活躍。戦後、千葉新聞社を経て、フリーランスとなり、新聞やグラフ誌に写真を提供する。写真以外にも、絵画教室や、服飾デザインの仕事にも携わる。昭和を代表する著名人のポートレートや日本各地のスナップ写真を多数撮影。日本写真家協会創立会員。主な写真集:『ライカでショット!お嬢さんカメラマンの昭和スナップ』(鎌倉書房 1989年)『輝く明治の女たち』(NHK出版 1992年)、『素顔の三岸節子』(光村出版 1998年)『100歳のファインダー』(東京新聞 2014年)、他 主な写真展:「生きたニュールック写真展」(丸善ギャラリー 1950年)「昭和を彩った人たち」(ドイフォトプラザ渋谷 1985年)「”いま”を生きる明治の女性たち 60人」(銀座資生堂別館 1996年)「笹本恒子100歳展」(日本新聞博物館 2014年)、他 主な受賞: 東京女性財団賞(1997年)、第16回ダイヤモンドレディ賞(2001年)、吉川英治文化賞(2011年)、日本写真家協会賞功労賞(2011年)、ルーシー賞(2016年)

1946年 笹本恒子 《銀座4丁目とP.X.》
1952年 笹本恒子 《女性を招待したストリップショー》浅草
1952年 笹本恒子 《女性連れの進駐軍兵士と幕下力士》両国

佐藤 明

さとう・あきら 1930-2002 東京生まれ。
1949年、横浜国立大学に入学、写真部に入る。卒業後、日米通信社に勤務。1959年、川田喜久治、丹野章、東松照明、奈良原一高、細江英公とセルフ・エージェンシー「VIVO」を結成。微妙な心理的世界を映像化した作品で独自の世界をつくる。1963年、渡米、1964年、渡欧、1965年、帰国。1966年、日本写真協会作家賞受賞。写真集に1971年『おんな』、1989年『ウィーン幻想』ほか。

撮影年不明 佐藤 明《冷たいサンセット》
撮影年不明 佐藤 明《冷たいサンセット》
撮影年不明 佐藤 明

佐藤元洋

さとう・もとひろ 1948-1991 東京生まれ。
1966年、日本大学芸術学部写真学科、入学。1968年、べ平連などの市民デモや学生運動に参加し、撮影取材を行う。1969年、第6回太陽賞、受賞。1970年、写真映像批評ミニコミ誌『COPÉ』を自費出版。フリーカメラマンとして活動。主な写真集に『こんにちは70年』(創土社 1969[自費出版])、『びんせん写真集』(COPÉ編集室1980[自費出版])。主な写真展に「佐藤元洋写真展」(ギャラリーMole 1995)

1968年 佐藤元洋『反戦運動’68』
1968年 佐藤元洋『反戦運動’68』

渋谷大郎

しぶや・たいろう 1923-2010 新潟生まれ。
主婦と生活社を経て、ファッション、料理写真等で活躍。1968年、日本写真家協会、入会。


渋谷高弘

しぶや・たかひろ 1925- 東京都生まれ。
日本大学芸術学部卒業。サン写真新聞社写真文を経て、フリーランスとして活動。主にグラビアを手掛けるほか、紀行、ルポなどを新聞・雑誌に寄稿する。日本旅行作家協会顧問理事、日本写真家協会会員、東京・レジャー記者の会会員。主な写真集:『お魚列島うま味旅』(日地出版 1993年)、『こんなにおいしい日本列島』(廣済堂出版 1997年) 主な写真展:「50年前の浅草」(浅草ビューホテル 2003年)、「50前の熱海」(熱海シーサイド スパ&リゾート 2004年)、「50前のハワイ」(いわき市スパリゾートハワイアンズ フラ・ミュージアム 2008年)

1955年頃 渋谷高弘 《日本航空DC6B》 羽田空港
1954年 渋谷高弘 《旅立ちを見送る人々》 東京駅
1954年頃 渋谷高弘 《傷だらけの銀座四丁目》

島内英佑

しまうち・えいすけ 1937- 高知生まれ。
1959年日本大学芸術学部写真学科卒業。同年、光文社写真部入社。1962年、光文社退社、フリーランスとなる。『アサヒカメラ』『フォトアート』『太陽』など、写真雑誌にフォトルポルタージュを多く発表する。日本写真家協会会員、日本写真協会会員、日本旅行作家協会常任理事、NHK文化センター講師。主な写真集:『吉野川ふたむかし』(教育出版センター 1981年)、『Face and Voices of Papua New Guinea』(Bathurst, N.S.W., Australia : Robert Brown & Associates 1986年)、『いとしの町』(佐賀町 1990年)、『南半球冒険航海』(郵船クルーズ 2001年)、他多数。主な写真展:「ボンジュール・パリ」(新宿ニコンサロン 1972年)、「フランスの詩」(三菱オートガーデン 1974年)、「南の風―パラオ・セブ紀行―」(東京 キャノンサロン 他 1978年)、「吉野川ふたむかし」(銀座ニコンサロン 1979年)、他多数。

島内英佑 「吉野川」

清水清

しみず・きよし 1924-1999 東京都生まれ。
東京師範学校卒業。東京都立立川高校、東京都立武蔵高校、都留文科大学で生物学講師として勤める。1955年より写真家活動を始める。動植物の生態写真、特に食虫植物、富士山の生態系、ニワトリの発生(生態学)など発表多数。主な写真集:『教材に準じた学習植物写真集』(北隆館 1957年)、『食虫植物』(誠文堂新光社 1966年)、『化学のアルバム たまごのひみつ』(あかね書房 1975年)、『植物の研究 植物たちの登山学』(あかね書房 1987年)、他多数。主な受賞:第35回サンケイ児童出版文化賞 大賞(1988年)、第8回 吉村証子記念 日本科学読物賞(1988年)。

清水清 「食虫植物」

新間陽子

しんま・ようこ 1948- 静岡生まれ。
1971 年、静岡大学教育学部卒業。1971 年、東京都田無小学校勤務。障がい児教育・乳幼児教育に携わる。1989 年、現代写真研究所に参加、基礎科1 年、本科2 年を修了。主にJR 中央線の駅や、街などで見かけた子供の写真を撮影。主な写真集:『子どもたちの視線─新間陽子写真集』(自費出版 2005 年)主な写真展:「子どもたちの視線(新宿ニコンサロン 2002 年)主な受賞:視点展 優秀賞(2014 年)

1996年 新間陽子 《吉祥寺駅中央線下りホーム》

菅井日人

すがい・にっと 1944-2015 東京生まれ。
日本大学芸術学部映画学科卒業後、朝日TVニュース制作部、日経映画社を経て1970年フリー写真家となる。ヨーロッパ、アメリカ、東南アジアなどを訪問し、主に土地の人々や建築、聖地をテーマに撮影を行う。日本写真家協会会員、日本写真芸術学会会員、カトリック・ジャーナリストクラブ会員。主な写真集に、『聖フランシスコはいま』(あかし書房,1981年)、『祈りの大聖堂シャルトル』(講談社,1986年)、『キリストの道』(グラフィック社,1992年)、『天国の窓』(サンパウロ,2012年)。

sgy_nit_2
sgy_nit_1

杉村 恒

すぎむら・つね 1926-1991 奈良生まれ。
1949年東京美術学校(現・東京芸術大学美術学部)日本画科卒業、翌1950年より在日アメリカ大使館に勤務する。アメリカ文化の紹介に従事する一方で制作活動を続ける。1964年にフリー写真家となり、スギムラスタジオ設立。若いころより興味を抱いていた陶芸や茶道をはじめとする日本の伝統文化、伝統工芸を題材にした写真を多く撮った。主な展覧会、写真集に「杉村恒フォトグラム展」(1954年)、「日本の彫刻家シリーズ」(1956年)『女流―杉村恒写真集』(新潮社、1958年)、『人間国宝・伝統工芸』(杉村恒写真・小川正隆文、美術出版社、1967年)、『明治を伝えた手』(朝日新聞社、1969年)など。


高井潔

たかい・きよし 1938 東京生まれ。
1961年、日本大学芸術学部卒業。卒業後、大成建設に入社。記録用の建築写真を撮影。勤務のかたわら写真家として日本の古建築を撮影する。1998年、大成建設を定年退社。以後フリーランスとして活動しながら、日本大学芸術学部写真学科講師を勤める。日本建築写真家協会代表。主な写真集に、『日本の倉』(淡交社 1973年)、『建築写真の世界』(朝日ソノラマ 1976年)、『建築写真術』(学芸出版社 1988年)、『日本の民家 美と伝統 東日本編・西日本編』(別冊太陽 2006年)。主な写真展に「日本の民家」(1973年)、「日本の倉」(1973年)、「日本の屋根」(1983年)、「萱葺きの屋根」(2014年)。

1960年代 高井潔 新潟県長岡市 《サフラン酒造の土蔵》

髙田昭雄

たかた・あきお 1939- 岡山生まれ。
1955年玉島西中学校卒業。三井造船養生工となる。1959年、玉野市立玉野備南高校卒業。日本写真家ユニオン所属。石津良介氏に師事した後、中村昭夫氏、小松健一氏に師事。ヒマラヤ他多くの山岳地を撮影。上山棚田を30年以上にわたって写真を撮り続ける。主な写真集:『橋脚になった島』(アトリエぶどうぱん社 2005年)、『水島の記録』(吉備人出版社 2016年)。主な写真展:「三つの子どもの世界 四人展」(銀座ニコンサロン 1955年)、「消えた故郷-奥津-」(岡山市 2000年)、「橋脚になった島」(新宿コニカミノルタプラザ 2005年)、「よみがえれ千枚田」(新宿コニカミノルタプラザ 2014年)。

髙田昭雄 『橋脚になった島』

高野伸二

たかの・しんじ 1929-1984 東京生まれ。
1958年東京教育大学大学院理学研究科理学研究課程修了。公益財団法人日本鳥類保護連盟勤務。同理事、公益財団法人日本野鳥の会理事などを歴任。1972年、フリーランスの写真家となり、野鳥やクモの生態を撮影。野鳥の生態写真を一つのジャンルとして定着させた第一人者。野鳥を主とした調査・保護活動に生涯を通じて従事した。主な写真集:『野の鳥の四季 高野伸二写真集』(小学館 1974年)、『原色・自然の手帖 野鳥』(講談社 1967年)、『野外ハンドブック・4 野鳥』(山と渓谷社 1978年)、『フィールド図鑑クモ』(東海大学出版 1984年)、他多数。主な写真展:「野鳥生態写真展」(銀座小西六ギャラリー 1957年)。

高野伸二 野鳥写真 《シロハラ》

竹内廣光

たけうち・ひろみつ 1929-1996 大阪生まれ。
堀内初太郎に師事し、風景写真を撮影する。国際写真サロンに招待出品。著書に宝塚歌劇団の演出家や演者らを撮った『演出家 女の園の中で…』がある。

撮影年不明 竹内廣光 《神戸の街角》

田中 徳太郎

たなか・とくたろう 1909-1989 埼玉生まれ。
24年間の国鉄勤務の後、1949年に浦和で写真店を開業。 1954年頃から白鷺の優美さに魅せられて撮影を続けた。1955年には皇居にて作品が天覧され、1956年には『LIFE』誌、『The New York Times』誌などに作品が掲載され国内外で高い評価を受ける。1958年にニューヨーク近代美術館及び、1982年にはフランス国立古文書館に作品が収蔵されている。主な写真集に、『白鷺の詩』(さきたま出版会,1998年)、『白鷺―天空のファンタジア』(玄光社,1989年)、『しらさぎ THE WHITE EGRET』(講談社,1970年)、『白サギ』(東京中日新聞,1961)。

撮影年不明 田中徳太郎『白サギ』《よろこび 曲線:埼玉,浦和市(現さいたま市)
撮影年不明 田中徳太郎『しらさぎ』《巣づくり》:埼玉,浦和市(現さいたま市)
撮影年不明 田中徳太郎『白サギ』:埼玉,浦和市(現さいたま市)
撮影年不明 田中徳太郎『白サギ』《たわむれ》:埼玉,浦和市(現さいたま市)

辻本満丸

つじもと・みつまる 1877-1940 東京生まれ。
1901年東京帝国大学工科大学応用化学科卒業後、農商務省工業試験所に助手として入所し、動植物の油脂を研究。1915年第二部長となる。1930年退官するまでに、「サメ肝油中の炭化水素(スクアレン)の研究」で1918年日本化学学会桜井賞受賞、「油脂の研究」で1920年学士院恩賜賞受賞など日本の油脂工業の発展に貢献した。

撮影年不明 辻本光丸
撮影年不明 辻本光丸
撮影年不明 辻本光丸
撮影年不明 辻本光丸
撮影年不明 辻本光丸

恒成一訓

つねなり・かずのり 1920-1999 福岡県豊前市生まれ。
父は『光画』などで活躍した写真家、恒成重康。東京工業大学建築学科を卒業し、特別研究生として都市計画を専攻する。つねなり・すたじおの代表者として建築写真の分野で活躍するほか、パストデザイン事務所の取締役も兼任していた。おもな著書に、『日本の庭』(森蘊共著,朝日新聞社,1960年)、『小堀遠州』(森蘊共著,創元社,1974年)、『書院』(藤岡通夫共著,毎日新聞社,1973年)、『角屋』(藤岡通夫共著,毎日新聞社,1973年)、『アンコールワット』(藤岡通夫共著,毎日新聞社,1970年)、『新数寄屋造り』(平田雅哉共著,毎日新聞社,1980年)などがある。

撮影年不明 恒成一訓:玉林院
撮影年不明 恒成一訓:銀閣寺,東求堂

常盤とよ子

ときわ・とよこ 1930-1 横浜生まれ。
1951年、東京家政学院卒業。その後、写真家を目指す。アマチュア女性写真家団体「白百合カメラクラブ」に参加。カメラ雑誌上で精力的に作品発表を行う。1962~65年、テレビ映画「働く女性たち」を制作。1974年、横浜市使節団としてソ連を訪問、撮影する。1987年、藤沢文化センター講師を勤める。
主な写真集に、『危険な毒花』(三笠書房 1957年)。主な写真展に、「働く女性」(小西六フォトギャラリー 1956年)、「10人の眼」(小西六フォトギャラリー 1957年)、「沖縄の微苦笑」(富士フォトサロン 1959年)、「わたしは大臣」(月光ギャラリー 1960年)。

 

1957年 常盤とよ子 《横浜市真金町 赤線地帯 診療所》

写真協会

しゃしんきょうかい 1938-1945 日本で設立。
1930年代から国際観光局、国際文化振興会といった国の機関による対外宣伝と報道写真の台頭を背景に、内閣情報局が1938年7月に設立した国策機関。1939年には陸軍省、海軍省、外務省、商工省からの出資で財団法人となった。国内外へ向けた宣伝のための写真資料の作成(撮影)と配信、1938年に創刊したグラフ雑誌『写真週報』の写真撮影を担当した。その後、内閣情報部が情報局へと昇格した1940年ころから次第に同様の役割を担った国際観光局や国際文化振興会を実質傘下に収めていくなか、写真協会も終戦ころまで存続していたと考えられる。

1938~1940年頃 内閣情報部写真 《年末雑観》
1940年 内閣情報部写真協会 《航空局仙台養成所》
1939年頃 内閣情報部写真協会 《海の全日本号除名式,大阪》
1938年 内閣情報部写真協会 《東京織物小売商組合運動会,豊島園》
1938年 内閣情報部写真協会 《大成丸帰航》

永田一脩

ながた・いっしゅう 1903-1988 福岡生まれ。
名は、「かずなが」とも読む。1923年、東京美術学校(現:東京芸術大学)西洋画科に入学し、藤島武二に師事。在学中は前衛演劇運動に参加。卒業後は「前衛芸術家連盟」や「未来派美術協会」にも参加し、絵画作品のほか雑誌の表紙デザインなどグラフィックの仕事も行った。またプロレタリア美術運動に深く関わり、1930年代に著書『プロレタリア芸術論』を刊行。1930年代後半からは『フォトタイムス』誌を中心に、海外の写真動向や写真評論を精力的に執筆し、1939年には瀧口修造らと「前衛写真協会」を結成。シュルレアリスムに傾倒し、独特の世界を展開した。1941年、東京日日新聞(現:毎日新聞社)に入社し、戦後は『カメラ毎日』創刊より同誌編集に携わった。1956年、バーモント・ニューホールの著作『写真の歴史』を共訳した。1958年、毎日新聞を退社。ほかに、山岳写真や釣りの分野でも活躍。写真と文章で構成した著書『山釣り、海釣り』もある。魚拓の専門家としても名高く、その活動領域は極めて多岐にわたっている。

撮影年不詳 永田一脩 《中央コーカサス》
永田一脩 《著書『海釣り』 表紙》

中島健蔵

なかじま・けんぞう 1903-1979 東京出まれ。
フランス文学者、文芸批評家、ジャーナリスト。1934年東京帝国大学仏文科講師。ヴァレリー、ボードレール他近の現代フランス文学を翻訳紹介。戦後は日中文化交流活動などを行う。文化人、写真関係者など、交友は幅広く、趣味のカメラで友人をスナップした写真は独自の世界を築く。『中島健蔵展―生誕100年記念』(毎日新聞社,2004年)、『中島健蔵作品展―かお・顔・貌(JCII photo salon library 38)』(JCIIフォトサロン,1994年)、『その人その頃―現代文学者の群像』(丸ノ内出版,1973年)、『文学者のみた現代の中国―写真集』(毎日新聞社,1960年)、『点描・新しい中国―北京・天津・広州』(六興出版部,1958年)

1954年 中島健蔵 《田村茂,土門拳》
1956年 中島健蔵 《谷崎純一郎,夫人》
1960年頃 中島健蔵 《川端康成,築地,金田中》
1962年 中島健蔵 《有吉佐和子,杉村春子》

中村由信

なかむら・よしのぶ 1925-1990 香川生まれ。
1946年三菱金属工業に入社後、緑川洋一に師事して写真を始める。 1955年、東京光芸社に入社し、まもなくフリーランスとなる。日本各地の風土を記録する傍ら、蒸気機関車の勇姿を追った。『日本方言図鑑―中村由信写真集』(新星出版社,1986年)、『海女―中村由信写真集』(マリン企画,1978年)、『瀬戸うちの人びと』(社会思想社,1968年)

撮影年不明 中村由信《帆曳き漁》 茨城,潮来町,水原沖
撮影年不明 中村由信《農耕に使われる水牛》 沖縄,石垣市,字白保
撮影年不明 中村由信 《駐在さん》,香川,多度津町,塩飽諸島

名取 洋之助

なとり・ようのすけ 1910-1962 東京生まれ。
1928年渡独。1930年代ヨーロッパで勃興していた報道写真を日本に導入し、木村伊兵衛らと1933年「日本工房」を興す。その後、土門拳、亀倉雄策らと『NIPPON』を創刊し、日本のフォト・ジャーナリズムを確立する。1947年より『週刊サン・ニュース』の編集に携わる。1950年より『岩波写真文庫』編集を行うなど、写真家であると共に優れた企画、編集者でもあった。主な著作・写真集に『組写真の作り方』(慶友社,1956年)、『麦積山石窟』(岩波書店,1957年)、『ロマネスク』(慶友社,1962年)、『写真の読みかた』(岩波書店,1963年)などがある。

1935年 名取 洋之助『NIPPON』
1935年 名取 洋之助『GROSSES JAPAN 大日本』:長崎,五島列島,福江島
1935年頃 名取 洋之助 《自転車の店員と自動車の接触事故と野次馬》
1935年頃 名取 洋之助『NIPPON』

西川 孟

にしかわ・もう 1925-2006 大阪生まれ。
1943年日本キリスト教専門学校中退。1950年、印刷所を経営する。このころより写真を始める。1955年、大阪・日本橋テルヰスタジオに主任として入社。1961年、土門拳に師事。「古寺巡礼」を中心として、関西での助手をつとめる。1966年、大阪・天満橋に事務所を開く。以後、文化財、寺社等を精力的に撮影。博物館資料の撮影多数。日本写真家ユニオン所属。主な写真集:『桂離宮』(講談社 1977年)、『角屋』(中央公論社 1983年)、『殉教 日本キリシタン史』(主婦の友社 1984年)、『聖域 伊勢神宮』(ぎょうせい 1994年)。主な写真展:「北京の看板 亀甲文字」(銀座ニコンサロン 1988年)、「西川孟 桂離宮 日本の美」(銀座ノエビアギャラリー 2014年)、他多数。主な受賞:第十二回造本想定コンクール ユネスコアジア文化センター賞(1976年)、世界書籍展(東ドイツ ライプツィヒ) ブックデザイン賞(1979年)、日本写真協会年度賞(1985年)、第七回土門拳賞(1988年)、他多数。


野上 透

のがみ・とおる 1935-2002 東京生まれ。
1958年講談社写真部入社。『週刊現代』の創刊とともに写真部から編集部に移動、グラビアページや表紙の撮影に携わる。1964年講談社を退社しフリーランスになる。その後、1977年には第8回講談社出版文化賞を受賞。女子美術大学講師やNHK文化センター講師も務め、雑誌を中心に人物写真、報道写真、ルポルタージュなどを撮影する。作品はJCIIフォトサロン、日本大学芸術学部、横浜市民ギャラリーなどに収蔵されている。主な写真集に『文士一瞬』(星雲社,2006年)、『薬師寺への誘い』(講談社,1977年)、ほか。主な個展に「本日も晴天なり」(1987年、ニコンサロン)、「文士悠遊」(1990年、コニカギャラリー)、「顔で綴る時代史」(1993年、JCIIフォトサロン)、「女人古寺巡礼」(1994年、富士フォトサロン)等がある。

1970年 野上 透『文士一瞬』《三島由紀夫》
1974年 野上 透『文士一瞬』《五木寛之》
1965年 野上 透『文士一瞬』《井上靖》
1975年 野上 透『文士一瞬』《松本清張》
1979年 野上 透『文士一瞬』《向田邦子》

野水正朔

のみず・まさあき 1932- 兵庫生まれ。
郵便局員のかたわら、1952年ごろから淡路島の風景を撮り始める。1955年、淡光会設立会員となる。1969年、淡路美術協会写真の部設立会員となる。2003年、日本写真作家協会会員となる。
主な写真集に、『淡國写真帖』(淡国書房 1994年)、『新淡國写真帖』(教育出版センター 2007年)
主な受賞に、兵庫県「ともしびの賞」(1992年)

1954年 野水正朔『淡國写眞帖』《海の国道》
1953年 野水正朔『淡国寫眞帖』《子守うた》
1966年 野水正朔『淡國写眞帖』《干しダコ》

ブリストル, ホレス

ぶりすとる・ほれす 1908-1997 アメリカ合衆国カリフォルニア州生まれ。
1936年から『ライフ』『フォーチュン』の撮影をする。第2次大戦中は写真家のエドワード・スタイケン(初代MoMA写真部門ディレクター、写真家、The Family of Manを企画編集)のもとで、アメリカ海軍の活動を記録する。戦後『フォーチュン』の特派員として日本に滞在し、敗戦直後の日本人の暮らしぶりや風土を克明に記録した。日本を捉えた写真集に『TOKYO』(イースト・ウェスト,1951年)などがある。

撮影年不明 ブリストル,ホレス
撮影年不明 ブリストル,ホレス
撮影年不明 ブリストル,ホレス
撮影年不明 ブリストル,ホレス

増田彰久

ますだ・あきひさ 1939-  東京生まれ。
1961年日本大学芸術学部写真学科を卒業。大成建設広報部に勤務した後、増田彰久写真事務所を設立、日本の近代建築を撮影する。1984年12月に第9回伊奈信男賞を受賞。2006年には日本の近代建築を対象にした写真家活動が評価され日本建築学会文化賞を受賞。主な写真集・写真展に『明治の西洋館』、『フランク・ロイド・ライトの世界』(写真展:1974年・写真集:1976年、毎日新聞)『日本の建築(明治大正昭和)全十巻』(1979年、三省堂)など

撮影年不明 増田彰久『アール・デコの館』《玄関扉》:朝香宮邸
撮影年不明 増田彰久『アール・デコの館』《喫煙室》:朝香宮邸
撮影年不明 増田彰久『アール・デコの館』《南全景》:朝香宮邸

松島 進

まつしま・すすむ 1913-2009 東京生まれ。
1930年東京高等工芸学校(現・千葉大学工学部)に入学。1933年、日活へ入社。多摩川撮影所でスチルカメラマンを務める。第二次世界大戦後はフリー。女性写真の第一人者として活躍。1948年、尾崎三吉らと「写真家集団」を創立。1950年、日本写真家協会結成にかかわり、初の名誉会員になる。東京写真専門学院(現・東京ビジュアルアーツ)では名誉校長になるなど写真家の地位向上と育成にも貢献した。


緑川洋一

みどりかわ・よういち 1915-2001 岡山生まれ。
岡山県生まれ。本名、横山知(さとし)。日本大学歯科医学部を卒業後、1937年に横山歯科医院を開業。1939年 緑川洋一の名前で写真雑誌の月例懸賞に応募を始める。石津良介の紹介で「中国写真集団」に参加。1945年岡山連帯区司令部の報道班を結成、班員となり歯科医師の傍ら被災状況などを撮影。岡山市内で街頭写真展「銃後の生活」を開催。1947年、植田正治と共に「銀龍社」に参加。1955年二科会写真部の会員となり審査を担当。二科会写真部会員。日本写真批評家協会作家賞(1962年)、 岡山県 文化賞(1963年)、日本写真協会年度賞(1963年)、内閣総理大臣賞(1973年)、勲四等瑞宝章受章(1990年)、受賞。主な写真集に、『瀬戸内海』(美術出版社,1962年)、『京都』(東京新聞社,1970年)、『瀬戸内旅情』(集英社,1979年)、『皇居・自然と造形』(集英社,1981年)、『竹久夢二・望郷の山河』(ぎょうせい,1990年)他。主な写真展に、「秋山庄太郎・林忠彦・緑川洋一・植田正二4人展」(松島ギャラリー,1955年)など、多数。

1954年 緑川洋一『白い村(石灰工場)』《石灰工場の人々》
1955年ごろ 緑川洋一『島の分教場』《唱歌の時間》
1957年 緑川洋一『おちょろ舟の女たち』《停泊した船へむかう女たち》

南 良和

みなみ・よしかず 1935- 埼玉生まれ。
1961年東京綜合写真専門学校を卒業。1967年に「ある山村の生活」で第4回太陽賞、1968年に埼玉県文化奨励賞、1978年に「秩父」で第28回日本写真協会年度賞、1992年第7回農業ジャーナリスト賞、1994年第「秩父三十年」で13回土門拳賞、1996年「黄土高原 窰洞の人々」生まれ育った秩父に拠点をおき、地域に残る独特の風習や祭り、長年撮り続ける中で変化していく風俗などを丹念に追い続けた作品で高く評価される。作品は東京都写真美術館、土門拳記念館に収蔵されている。主な写真集に『秩父』(家の光協会,1978年)、『農を歩く』(全国農業会議所・全国農業新聞,1992年)、『秩父三十年』(平凡社,1993年)、『黄土高原』(日本経済評論社,1996年)など

1958年頃 南 良和『アサヒカメラ(1958年5月号)』
1959年 南 良和『秩父三十年』《祭り用の米を搗く。》
1958年 南 良和『秩父三十年』《テレビが来た》
1964年 南 良和『ある山村・農村』《葬列》

山口直

やまぐち・ただし 1937-2021 東京生まれ。
1960年日本大学芸術学部写真学科卒業。1960年、株式会社講談社に入社、写真部に配属。1962年、週刊現代編集部へ転属。1966年、株式会社講談社を退社。1967年、フリーカメラマンとして活動。講談社『小説現代』、学研『旅行ホリデー』、日立製作所『技術史の旅』などを担当。主な写真集:『 館林源右衛門作品抄 : 古伊万里のこころ』(学習研究社 1983年)、『技術史の旅』(日立製作所 1985年)、『続 技術史の旅』(日立製作所 1997年)。

山口直「技術史の旅」《ガス圧縮機》川崎市
山口直「技術史の旅」《錦帯橋》

山﨑治雄

やまざき・はるお 1906-1987 岡山生まれ。
1938年、中国写真家集団に参加。1939年、緑川洋一らとカメラクラブ「光芒会」を結成、会長となる。興亜写真報国会、岡山支部長をつとめ、満州へ渡る。戦後、トリオスタジオ開設。岡山の歴史、民俗を撮影により記録する。岡山県勤労者美術展、岡山美術展、審査員。岡山写真連盟参与などを歴任。主な写真集に、『備前加茂大祭』(高山雅之 共著 岡山芸能懇話会 1956年)、『吉川八幡当番祭』(吉川八幡当番祭刊行会 1961年)、『尋牛 平櫛田中作品集』(平櫛田中顕彰会 1970年)、『特別史跡閑谷学校』(福武書店 1975年) 『写真家 山﨑治雄の仕事』(山﨑治雄の写真記録を保存顕彰する会 編 日本文教出版株式会社 岡山文庫 2016年)主な写真展に、「ありし日の軽便 西大寺鉄道写真展」(岡山県総合文化センター 1966年)、「岡山の仏たち」(岡山県総合文化センター 1967年)

1952年ごろ 山﨑治雄《建設中の旭川ダム》
1953年ごろ 山﨑治雄《栃原地区水没 橋の上の女性》
1953年ごろ 山﨑治雄《部落の表情・墓と老婆》
1953年ごろ 山﨑治夫《(旧栃原橋水没→西川)老婆と男》

山﨑美喜男

やまざき・みきお 1940- 千葉県生まれ。
1960年多摩芸術学園写真科卒業。1962年、コマーシャルスタジオ設立に参加。1980年、株式会社スタジオアルファを新宿区に設立。家電、照明器具、オーディオ製品、半導体製造装置、NHK「シルクロード」のスチール撮影等に従事。日本写真家協会会友、市川写真家協会理事。主な写真集:『アルプス気球の旅』(日本放送出版協会 1979年)、『ライン河の旅:源流から北海まで』(日本放送出版協会 1979年)、『写真集シルクロード:ローマへの道』(日本放送出版協会 1984年)、『昭和三十六年市川市八幡神社 農具市』(2020年)。

1961年 山﨑美喜男 《買い物籠・雑貨屋》
1961年 山﨑美喜男 《拝殿前の賑わい》
1961年 山﨑美喜男 《猿の玩具》

山端庸介

やまはた・ようすけ 1917-1966 シンガポール生まれ。
父・山端祥玉の興したジーチーサン商会へ1936年に入社し、アジア各地で日本海軍の写真を担当。 1945年8月10日に西部軍報道班員として原爆投下直後の長崎を撮影。 1947年、父と再興した株式会社ジーチーサンの社長となり、同社は1955年開催の「ザ・ファミリー・オブ・マン」展などのプリントを手がける。
主な写真集に、『原爆の長崎:記録寫眞』(北島宗人共著,第一出版社,1952年)。

1945年 山端庸介:長崎,原爆
1945年 山端庸介:長崎,原爆
1945年 山端庸介:長崎,原爆
1945年 山端庸介:長崎,原爆
1946年 山端庸介:春,長崎,原爆

吉岡専造

よしおか・せんぞう 1916-2005 東京生まれ。
1939年東京高等工芸学校(現・千葉大学)を卒業し、朝日新聞東京本社に入社。1940年から41年にかけ従軍し、1942年に海軍報道班員として戦場を取材する。戦後は出版写真部に移り、1971年定年退職。代表作に『人間零歳』(二見書房、1960年)、『吹上の自然』(朝日新聞社、1980年)、『吉田茂』(朝日新聞社、1967年)、『Drive & Look くるまの楽しみ』シリーズ(JAF Mate社、1982年~85年)など。

1951年 吉岡専造『吉田茂』《目黒公邸にて》

吉田 潤

よしだ・じゅん 1908-2003 高知生まれ。
1930年頃より写真を始め、『旅行満洲』に携わる。 1939年北京の華北交通広報課写真室に勤務し、1943年に東亜交通公社に移籍。 1948年にサン・ニュース・フォトスに入社し、写真部長となる。 1964年からフリーランスとして活躍。演劇やスポーツなど、大衆娯楽を得意のテーマとした。主な写真集に『戦後フォーカス293』(潮出版社,1983年)など

1948年頃 吉田 潤『戦後フォーカス293』《日向ぼっこする孤児たち》:エリザベス・サンダース・ホーム
1949年頃 吉田 潤『戦後フォーカス293』《原爆症の永井隆博士をお見舞いする天皇陛下》
1950年頃 吉田 潤『戦後フォーカス293』《東急フライヤーズの練習風景》

和木光二朗

わき・こうじろう 1928- 横浜生まれ。
昭和3年神奈川県横浜市生まれ。本名、金森邦夫。昭和24年世界映画社写真部に入社し、早田雄二に師事する。昭和28年フリーの写真家となり、雑誌やコマーシャル写真を専門とする。また、山村のルポルタージュや芸能人の写真を題材とし、『文芸春秋』『毎日グラフ』等での連載を受け持った。主な写真展として「伝統工芸の里をゆく」展(富士フォトサロン、昭和57年)、「ふるさとに技あり」展(ペンタックスフォーラム、昭和59年)、「映画 黄金期のスタア」展(ニコンサロン、平成7年)など。


若目田幸平

わかめだ・こうへい 1933-2018 東京生まれ。
1958年、早稲田大学第一文学科、卒業。家業の豆腐店を営みながら、『太陽』、『アサヒグラフ』、『ドリブ』、『歴史読本』などの写真撮影に携わる。1977年、アサヒカメラ 自由の部年度賞、第一位。1978年、第5回準太陽賞、受賞。主な写真集に『東京のちょっと昔』(平凡社 2007年)。主な写真展に、「部屋」(銀座ニコンサロン 1993年)

1975年 若目田幸平『東京のちょっと昔』《町屋(荒川区)のおじさんと子ども》
1975年 若目田幸平『東京のちょっと昔』《町屋(荒川区)の金魚売り》

渡辺義雄

わたなべ・よしお 1907-2000 新潟生まれ。
1925年小西写真専門学校入学。卒業後、1928年、オリエンタル写真工業入社。1930年、新興写真研究会に参加、1932年『フォトタイムス』に《御茶ノ水驛》を発表。1934年、フリーランス。『NIPPON』他で活躍。戦後は伊勢神宮などを撮影、建築写真の第一人者となる。写真教育、写真美術館設立運動にも尽力。1990年、文化功労者。受賞多数。主な写真集に『天皇と皇居』(トッパン,1951年)、『伊勢』(朝日新聞社,1962年)、『帝国ホテル』(鹿島研究所出版会,1968年)、『奈良六大寺大観(シリーズ)』(岩波書店,1969~1971年)など

1953年 渡辺義雄「伊勢神宮」《内宮正殿北面全景》
撮影年不明 渡辺義雄「伊勢神宮」《内宮正殿西北よりの全景》
撮影年不明 渡辺義雄「伊勢神宮」
1956年 渡辺義雄 ≪ダビデ像≫
1993年 渡辺義雄『伊勢』《内宮正殿北面全景》

このページのトップへ